寿司の歴史

寿司の食べ方に決まりはありません。
生、刺身風、巻き寿司の一部としてさっと揚げたもの、Pokeスタイルで細かく刻んだものなど、米国ではもはや眉をひそめる生の魚を食べるのが好きかどうかにかかわらず、ほぼすべての人が寿司を試したことがあるでしょう。
日本酒、カクテル、ワイン、その他の飲み物と組み合わせても、寿司は他では味わえないユニークで風味豊かな食体験を提供します。 冷たくて引き締まった魚と、ご飯やタレなどの組み合わせは、他にはない美味しさです。
寿司は、過去 1 世紀ほどで急速に最も人気のある国際料理の 1 つとなり、世界中のどこでも、特に米国では 4,000 軒以上の寿司レストランがあります。 しかし、このおいしい料理はどのようにして始まり、アメリカでこれほど人気になったのでしょうか? 生の魚を食べるという考えは常に民衆の間で受け入れられていたのでしょうか?

寿司の起源とは?

寿司の起源は、東南アジアの「なれずし(熟鮓)」だったとされています。「なれずし」は発酵食品で、米粒がどろどろになるまでしっかり発酵させるのが特徴。当時、山岳地帯に住んでいた民族が、手に入りにくかった魚を長期保存するための方法として編み出したものです。川魚を保存するため、米などの穀類を炊いたものと魚を一緒に漬け込み、お米の発酵によって魚を保存していました。

日本の寿司の歴史

では、日本の寿司はどのようにして今のような形になったのでしょうか。その歴史を紐解いてみましょう。

前述の「なれずし」は、奈良時代ごろに日本に伝わったとされています。甘酢で味つけしたごはんに、アユやフナなどの川魚をのせて一晩寝かせたもので、保存食として食べられていました。これらは貢物として朝廷に献上され、貴族の食べ物だったこともわかっています。
日本では何世紀にもわたって、魚は米で発酵させて保存され、その後廃棄されてきました。 この発酵寿司は作るのに何年もかかり、2つのスタイルがありました。 一つは、魚を細かく切り、ご飯と混ぜて発酵させた「切り身寿司」。 もう一つは、魚を丸ごと米の中で発酵させた姿寿司。
その後、江戸時代中期に酢飯が伝わり、発酵寿司は早寿司へと進化しました。 早寿司は作るのにそれほど時間はかからず、酢飯も魚と一緒に食べられました。 はや寿司の登場により、切り身寿司は箱寿司とちらし寿司に、姿寿司は巻き寿司といなり寿司にそれぞれ分かれました。 これらの品種はすべて今日でも食べられています。

  

今のように握り寿司として食べられるようになったのは、江戸時代末期になってからとされています。江戸で流行していた屋台で、握ったらすぐに食べられる「握り寿司」が生まれました。これは江戸前(東京湾)でとれる魚介類や海苔を使っていたことから、「江戸前寿司」と呼ばれるようになったのです。
この頃の握り寿司はおにぎりくらいの大きさだったので、切り分けて食べられていました。1皿に2貫のお寿司を盛るスタイルは、切り分けて食べていた当時の名残でもあります。後述しますが、大正時代にネタの種類が増え、お寿司のサイズも小さくなっていくまでは、現代で我々が想像するお寿司のサイズよりもやや大きい「一口半から二口」が1貫あたりのサイズだったようです。

 

製氷産業が盛んになった明治30年以降、漁法や流通の発展と相まって、これまで生の刺し身が扱えなかった寿司屋も、ネタを氷で冷やして保存できるようになりました。煮切り醤油をネタに塗って出す、現代では一般的な提供方法は、この時代に確立されたスタイルです。

グループ店舗の多聞、毘沙門では伝統に基づき、冒険好きな方へも、生の魚を食べることに疑問を持っている寿司初心者へも、あらゆる味覚に心を込めてお応え致します。
メニューや提供内容の詳細は各店のページでご確認ください。

   
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